自由と安全は対極にあるものです。自由になるということは自分のために生きるということであり、安全になるというのは他人のために生きるということと言えるかもしれません。
自由になることを夢見る人がたくさんいる一方で、自由になることを半ば諦めながら安全になる道を歩んでいる人がどれだけいるでしょうか?
流されるがまま人生を歩んでいけば、セミオートで安全になる道を選んでしまうように思います。それは、今の社会のシステムがそうなるようにできているからです。
義務教育を終えると今の時代、高校、大学へと進学し、そして当たり前のように就職活動をして卒業後は就職をする。そして定年まで、転職する場合もありますが、働いて退職後は年金や積み立ててきた貯金で生活をする。こういう人生のレールがデフォルトで敷かれているように感じます。
ロバート・キヨサキはこのことについて次のように述べています。
「あるいは、きみがガッツのない人間だったら、人生につつかれるたびになんの抵抗もせずに降参してしまうだろう。そして、一生安全な橋だけを渡り続け、まともなことだけをやり、決して起こることのない人生の一大イベントのために一生エネルギーをたくわえ続けるんだ。そして、最後は退屈しきった老人になって死ぬ。とても働き者で気のいいきみにはたくさんの友達ができるだろう。だが、実際きみがやったことといえば、人生につつきまわされ、されるがままになっていただけだ。心の奥底で、きみは冒険を冒すことを恐れていた。本当は勝ちたかったのに、負けるのが怖くて勝利の感激を味わおうとしなかった。そして、自分がそうしなかったことをきみは知っている。きみだけが、心の奥底でそのことを知っている。きみは安全なこと以外はしない道を選んだんだ」
改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 (単行本)
ロバート キヨサキ 筑摩書房 2013-11-08
僕は最初にこれを読んだ時に恐怖を感じました。「何かしなければ人生に殺される。絶対に後悔する。」と感じました。
絶対にやってはいけない、なってはいけないことは本に書いてあるように人生につつきまわされ、されるがままになることです。
ということはこれと逆のこと、主体性が必要なのです。
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